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東京地方裁判所 平成2年(行ウ)190号 判決

原告

長岡照代

右訴訟代理人弁護士

川辺周弥

廣井公夫

被告

渋谷労働基準監督署長熊谷正彦

右指定代理人

小池晴彦

森和雄

倉下勝司

嶋崎輝男

橘川好男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が昭和六二年三月二日原告に対してした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告の夫長岡重雄(以下「重雄」という。)の死亡が業務上の事由によるものとは認められないとした本件処分には、判断を誤った違法があるとして、原告がその取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  (家族関係)原告は、亡重雄(昭和一四年八月二五日生)の妻である。重雄は、死亡当時、原告と三人の女子(長女一八歳、二女一五歳、三女一四歳)とともに原告の肩書住所地に居住していた。

2  (業務内容)重雄は、昭和四二年八月、運送業を目的とする三陸運送株式会社(〈住所略〉所在。以下「訴外会社」という。)に雇用され、以後、大型特殊貨物自動車(タンクローリー車)の運転手(助手の同乗のない単独運転)として訴外会社の指示に基づく各顧客先への石油製品(ガソリン・灯油・軽油等)の配送業務に従事していた。配送先は、訴外会社を基点として東京都、神奈川県、埼玉県一部区域の主として給油所であった。

3  (災害の発生)重雄は、昭和六一年五月二六日午前四時ころ、自家用車で自宅を出発して訴外会社に到着後、午前五時、タンクローリー車を運転して訴外会社を出発し、川崎市、神奈川県西部の山北町、開成町を経由し、茅ケ崎市で運送及び荷積等の作業をし、午後零時五〇分、川崎市の東亜石油株式会社で荷積みをし、午後一時二〇分、埼玉県春日部市内の給油所に向けて出発した。そして、午後三時一三分ころ、同県越谷市神明町一丁目二三〇番地先(通称越谷バイパス)路上を走行中、進行方向左側のガードレールに車両を衝突させながら同方向の歩道に乗り上げて停車し、自らは運転席で倒れていたところ、第三者の通報により、直ちに救急車で病院に運ばれたが、約二〇時間後の同月二七日午前一一時九分に死亡(以下「本件死亡」という。)した。後記小池医師の診断によると、重雄の直接の死因は、くも膜下出血であった。

4  (手続経過)原告は、昭和六一年七月二四日、被告に対し、本件死亡が業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被告は、昭和六二年二月二七日付けで不支給決定(本件処分)をし、同年三月二日、原告にこれを通知した。そこで、原告は、同年四月一七日、東京労働者災害補償保険審査官に対し、本件処分を不服として審査請求をしたところ、同審査官は、同年九月三〇日付けで審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は、これを不服として、同年一一月二五日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたところ、同審査会は、平成二年七月一〇日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

二  争点

1  本件の争点は、本件死亡に業務起因性があるかどうかである。

2  原告の主張

(一) 重雄の家庭環境は良好であり、訴外会社における定期健康診断でも、異常所見はなく、病的素因ないし基礎疾患となり得るものはなかった。本件死亡は、混雑する道路事情の中での危険物の運搬という業務内容や、連続する早朝出勤(午前五時、五時四五分、六時など)、長時間勤務(一〇時間を超えることが多い。)など過酷な勤務態様による過度の精神的な緊張、肉体的疲労に起因するものであり、本件死亡には業務起因性があるというべきである。

死亡診断をした医師も、車の運転という緊張状態がくも膜下出血を誘発した可能性が考えられるとの意見を述べている。

(二) 右のように重雄が起床して就寝するまでの大部分の時間帯を危険な勤務及びその周辺の作業に充ててきたことなどや、労働者の勤務中の万一の危険を負担してプールした金銭の支給を受ける労災保険制度の趣旨からすると、消去(除去)法により経験的に否定される要因がない限り、その反射的効果として合理的な推定が働くものとして、業務と本件死亡との間に因果関係を認めるべきである。

また、医学的に必ずしも発症の原因が一因的でなく、不確定要因が入ることが避けられない場合には、割合認定(例えば、七〇パーセント、五〇パーセント、三〇パーセント支給など)による支給が可能であるというべきである。自動車損害保険業務における過失割合の認定も、理論は異なるが、発想の点では軌を一にするものと考えられる。

3  被告の主張

(一) 業務上の疾病とは、業務と当該疾病との間に相当因果関係があるもの、すなわち、業務が当該疾病の発症に対して相対的に有力な原因であると認められるものをいう。脳・心疾患についての医学的知見によれば、脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態(以下「血管病変等」という。)が加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し、発症に至るものがほとんどであり、業務が血管病変等の形成に当たって直接の要因となることはなく、発症と医学的因果関係のある特定の業務も認められていない。したがって、脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、いわゆる私病(血管病変等)が増悪した結果として発症する疾病と認められるから、その増悪、発症に業務が相対的に有力な原因をなしたものと認められる場合、つまり、業務による過重な負荷により、急激な血圧変動や血管収縮が引き起こされ、その結果、血管病変等がその自然経過を超えて急激に著しく増悪して、脳血管疾患及び虚血性心疾患等が発症した場合に、業務起因性が認められることになる。そのような過重負荷としては、(1)業務に関連する出来事のうち、発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと、又は、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと、(2)過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることが必要となる(「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号)も同旨)。

(二) しかし、本件の場合、重雄の発症前日までの勤務状況及び発症当日の状況のいずれからも、業務に関連して心身に強度の緊張、驚愕等を与えるような異常な事態や突発的な出来事があったとは認められず、業務内容も、長年の経験を有し、習熟したものであり、その業務負担についても、質、量ともに著しく過重であったとは認められない。発症当日の業務は、おおむね平常どおりの作業であって、特に過重であったとは認められず、発症当日の気象状況についても特に異常な状況は認められない。そして、くも膜下出血の原因疾患についての医学的知見、医師の意見等を総合して判断すると、重雄の疾病は、重雄の有していた病的素因ないし基礎疾患が自然的に増悪していた過程で、たまたま業務中に発症したものであって、業務との相当因果関係は認められない。

(三) したがって、本件死亡に業務起因性はなく、本件処分は適法である。

第三争点に対する判断

一  事実関係等

証拠(〈証拠略〉)によると、次の事実が認められる。

1  訴外会社の所定労働時間は午前八時から午後四時まで、所定休憩時間は午後零時から午後一時まで、所定休日は日曜日、祝祭日、毎月一回土曜日である。重雄は、昭和六一年当時、通常の場合、午前四時ないし五時ころ自宅を出ており、帰宅は午後七時ころであった。重雄の職務内容は、タンクローリー車による配送業務であるため、重雄が自宅で仕事をすることはなかった。

2  重雄の発症前五か月(昭和六〇年一二月一六日から昭和六一年五月一五日まで)の勤務状況については、総日数一五一日のうち実労働日数が一一〇日、そのうち休日労働日数が四日であり、実労働日数は一か月平均二二日である。早出残業時間は四八七時間四〇分で一日平均四時間二六分である。なお、同じ時期の同僚五名の平均については、総日数一五一日のうち実労働日数が一四一・四日、そのうち休日労働日数が五・四日であり、早出残業時間は五一三時間四七分、一日平均四時間二九分であり、重雄の勤務状況は同僚の平均を下回っている。

3  重雄の発症前一か月(昭和六一年四月一六日から同年五月一五日まで)の勤務状況については、総日数三〇日のうち実労働日数が一八日、そのうち休日労働が一日であり、早出残業時間が五四時間四五分である。なお、同じ時期の同僚五名の平均については、実労働日数が二一日、そのうち休日労働が一・六日、早出残業時間が五五時間三六分であり、重雄の勤務状況は、同僚との比較では、実労働日数で三日、休日労働で〇・六日、早出残業時間で五一分下回っている。

4  重雄の発症前一〇日間(昭和六一年五月一六日から同年五月二五日まで)の勤務状況については、実労働日数は七日、早出残業時間は二〇時間二五分で一日平均二時間五五分であって、発症前五か月の一日平均と比べると、約一時間半減少している。そして、発症前の五月二四日、二五日は所定休日であり、重雄は、就労していない。なお、発症当日に自宅を出る際、重雄に特に普段と変わった様子はなかった。

5  重雄の訴外会社における一般健康診断の結果は、次のとおりである。

(一) 昭和五八年七月一一日 身長一七四センチメートル、体重七四キログラム、血圧一九〇―一〇〇、尿糖、尿蛋白、医師の指示「ドック指示」

(二) 昭和五九年六月一九日 身長一七四センチメートル、体重七五キログラム、血圧一八〇―一一〇、尿糖、尿蛋白

(三) 昭和六〇年五月二八日 身長一七三・五センチメートル、体重七四・五キログラム、血圧一八八―一〇〇、尿糖、尿蛋白、

(四) 昭和六一年五月一三日 身長一七四センチメートル、体重七四キログラム、血圧一七〇―一〇八、尿糖、尿蛋白

右診断結果は、WHO基準(最大血圧一六〇以上又は最小血圧九五以上のものを高血圧と定義している。)によると、高血圧の状態である。

なお、重雄に飲酒、喫煙の習慣はなく、勤務中、過去に意識障害を起こしたこともない。

6  昭和六一年五月二六日の東京地方の気象状況は、午前九時には気温一八・一度、湿度二九パーセント、風速毎秒一・九五メートル、天候曇り、午後三時には気温一九・三度、湿度四三パーセント、風速毎秒四・五〇メートル、天候晴れであった。

7  重雄の診療に当たり、かつ、死亡診断書を作成した済生会川口総合病院脳神経外科小池順平医師の診療経過、意見等の要旨は、次のとおりである。

(一) 初診年月日 昭和六一年五月二六日

(二) 傷病名 くも膜下出血

(三) 初診時の病訴、自覚症状 半昏睡の状態、強い痛みの刺激に対し、わずかに手足を動かすのみ。

(四) 他覚的所見、検査成績 半昏睡、はっきりした運動障害なし、体表に外傷を認めず、頭部CTにてくも膜下出血の所見あり。

(五) 病状の経過、治療経過

昭和六一年五月二六日、タンクローリー車運転中意識障害を起こし、車を道路わきにぶつけ止まる。近医に搬送されるが意識なく、心停止、呼吸停止を呈し、蘇生術を施し、一旦回復し、当科へ紹介される。来院時半昏睡、呼吸障害、くも膜下出血、脳圧亢進の状態を認め脳室ドレナージを施行し、脳圧改善を図るが効果なく、呼吸停止となる。

(六) 死亡年月日 昭和六一年五月二七日午前一一時九分

(七) 死亡原因 (1) 直接の死因 くも膜下出血

(2) (1)の原因 不詳

(八) 本人の業務内容と本症発生(死亡原因)との因果関係

車の運転という緊張状態がくも膜下出血を誘発した可能性は考えられる。

8  東京労働基準局医員佐藤進医師の本件に関する意見の要旨は、次のとおりである。すなわち、

(一) 重雄の既往歴としては、明らかな高血圧症が定期健康診断で認められているが、自主的健康管理は不十分である。本件のくも膜下出血のような場合には、業務に関係なく潜在していたくも膜下出血に対する病的素因ないし基礎的疾患の存在の可能性が考えられる。本件のくも膜下出血は通常業務遂行中に発症し、二次的に単独交通事故が発生したとして処理されている。本症発症前日までに、同僚と対比して特に過激な業務があったことは認められていない。本症発症直前に業務に関連する突発的かつ異常な災害や出来事があったことも認められていない。

(二) したがって、本症例においては、潜在していた病的素因ないし基礎的疾患が自然的に増悪して通常業務の過程において、くも膜下出血が発症したと考えるのが妥当であり、業務とくも膜下出血発症との間に相当因果関係があるとするのは困難であろう。

9  慶応義塾大学医学部脳神経外科客員助教授飯坂陽一医師(国家公務員等共済組合連合会立川病院脳神経外科部長)の本件に関する意見の要旨は、次のとおりである。すなわち、

(一) 臨床経過から、三回激しいくも膜下出血の発作を繰り返したものと思われ、動脈性の出血を疑わせる。CT所見からも椎骨脳底動脈系の脳動脈破裂を強く示唆する。大きな動脈瘤は、CTで診断できることもあるが、通常動脈瘤の確定診断には、脳血管撮影が必要である。しかし、本件では脳動脈撮影を施行していないので、確定診断はできないが、脳動脈瘤以外の原因によるくも膜下出血の可能性は、極めて低い。また、検査不十分で、客観的な脳動脈硬化を示すデータはないが、重雄には、危険因子として、年齢、高血圧、性、肥満があるので、ある程度動脈硬化をきたしている可能性は否定できない。

(二) 重雄のくも膜下出血の原因は、既往症は高血圧以外ないので、頭蓋内疾患によるくも膜下出血以外は考えられない。そして、CT所見、臨床経過から脳動脈破裂によるくも膜下出血であると考える。重雄の脳動脈瘤は、臨床症状及び経過、CT所見から先天性と考えられる。

(三) 重雄は、昭和五八年七月から昭和六一年五月までの間、健康診断で四回高血圧を指摘されており、三年間高血圧が続いている。また、肥満は動脈硬化の危険因子であるが、重雄は軽度肥満の状態であった。したがって、重雄の脳動脈瘤は、先天性素因の上に高血圧、動脈硬化、血管の退行変性が加齢とともに進行して破裂し、くも膜下出血をきたしたものと思われる。

(四) 素因とともに三年間放置された高血圧は、脳動脈瘤の発生、成長に大きな影響があった可能性がある。もし一日一〇時間労働しているとすれば、仕事中にくも膜下出血を起こす確率は四一・七パーセントである。重雄は、たまたま仕事中にくも膜下出血をきたしたものであり、同人の担当業務とくも膜下出血との間に、直接の因果関係はないものと思われる。

二  医学的知見

証拠(〈証拠略〉)によると、次のことが認められる。

1  脳の重要な動脈は、くも膜下腔に位置し、その頭蓋内血管の破綻により、血液がくも膜下腔中に流入して起こる病態をくも膜下出血という。

2  くも膜下出血を原因により分けると、特発性くも膜下出血と外傷性くも膜下出血がある。前者の原因としては、(一)頭蓋内疾患、(二)全身血管疾患、(三)その他のものがあり、(一)には(1)脳血管障害(脳動脈瘤、脳動静脈奇形、高血圧・脳動脈硬化性疾患、モヤモヤ病)、(2)脳腫瘍、(3)感染症がある。以上の疾患が基礎にあれば、特に原因がなくとも、くも膜下出血をきたすことがある。くも膜下出血の約七〇パーセントは脳動脈瘤の破裂、一〇パーセントが脳動静脈奇形からの出血が原因であり、それ以外の原因によるくも膜下出血は少ない。

3  脳動脈瘤は、血管の分岐部の中膜欠損部にできるが、中膜欠損だけで動脈瘤ができるのではなく、他の因子が関与しているものと考えられている。脳動脈瘤の好発年齢は、四〇ないし六〇歳代であり、動脈硬化、高血圧の者に多い。そのため、脳動脈瘤は、先天性素因+動脈硬化・高血圧+血管内膜の退行変性等により発生するものと考えられている。脳動脈瘤には、まれに細菌性、梅毒性、動脈硬化性のものもあるが、大部分は先天性である。脳動脈瘤破裂の原因を調べるために、ロクスレイが、くも膜下出血発生時の状況を調査したところによると(一九六六年)、睡眠中三六パーセント、通常の状態三二パーセント、挙上一二パーセント、興奮四・四パーセント、排便四・三パーセント、性交三・八パーセント、咳二・一パーセント、その他五・四パーセントであった。睡眠中に三六パーセント発症するということは、脳動脈瘤破裂は、外的ストレスと無関係に生じるということである。八時間睡眠するとすれば、八÷二四=〇・三三三で、三三・三パーセントは、睡眠中に破裂することになる。このように、脳動脈瘤は、先天性素因があって、高血圧、動脈硬化、血管の退行変性等が年齢とともに加わって大きくなり、ある日ある時突然破裂するものである。今まさに破裂せんとしている動脈瘤は、どのような些細なきっかけでも破裂する可能性があり、また、自然に破裂することもある。

三  判断

1  労働者の死亡に業務起因性が認められるためには、死亡と当該業務との間に相当因果関係の存在が必要であると解されるところ、前記事実によると、重雄には先天性の脳動脈瘤が存在し、その脳動脈瘤の破裂によりくも膜下出血をきたして死亡に至ったものと認められる。このように、労働者の病的素因ないし基礎疾患が原因となって死亡した場合、その死亡と業務との間に相当因果関係があるというためには、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担が、基礎疾患等の自然的経過を超えてこれを増悪させ、その結果、発症に至るなど、業務が病的素因ないし基礎疾患とともに死亡に対する共働原因となったことが認められなければならないというべきである。

そこで、前記事実に基づき検討するに、重雄の発症に至るまでの勤務状況、発症当日の勤務状況に関して、精神的、肉体的に強度の緊張等を与えるような事情があったとは認められないし(なお、証拠上、発症直前に車の接触事故等の突発的な出来事があったことも認められない。)、業務の内容も、タンクローリー車による危険物の運搬であるとはいえ、重雄は、昭和四二年に訴外会社に就職して以来、右業務に携わってきたもので、長年の経験を有し、業務には慣れていたものと考えられる。業務の負担についても、早出残業時間の点を考慮に入れても、質、量ともに著しく過重であったとはいえないし、発症当日の業務は、ほぼ平常どおりのもので、特に過重であったわけではなく、当日の気象も比較的平穏であったということができる。以上の点や、前記認定のくも膜下出血に関する医学的知見、佐藤、飯坂両医師の本件に関する意見を総合すると、重雄の疾病は、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担によるものではなく、同人の有する基礎疾患である脳動脈瘤が高血圧、軽度肥満、加齢等により自然に増悪して破綻するに至った結果生じたものであり、それがたまたま業務中に発症したにすぎないものと認められる。そうすると、重雄の疾病及び本件死亡には業務起因性がないといわなければならない。

原告は、訴外会社の定期健康診断でも重雄には異常所見がなく、病的素因ないし基礎疾患となり得るものはなかった旨を主張しているが、この主張は、前記認定に副わないものであり、採用することができない。

また、重雄の診療に当たった小池医師は、重雄の業務と本症発生(死亡原因)との因果関係に関して、車の運転という緊張状態が、くも膜下出血を誘発した可能性は考えられるとの意見を述べているが、同医師は、重雄のくも膜下出血の原因については、不詳としているし、証拠上、同医師の意見は、業務との因果関係について具体的な検討をした結果に基づくものとも認められず、単に可能性を指摘しているにとどまるものであるから、右結論を左右するものではない。

2  原告は、重雄が起床して就寝するまでの時間帯の大部分を危険な勤務及びその周辺の作業に充ててきたことなどや、労災保険制度の趣旨から、経験上、特に否定される要因がない限り、因果関係を肯定すべき旨を主張している。しかし、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、業務とは関係なく自然に起こることがあるのであるから、原告主張のような事由により、業務との因果関係を原則的に肯定することは困難であり、また、労働基準法及び労災保険法における災害補償が無過失責任とされていること、労災保険法による保険給付の財源のほとんどが事業主の負担する保険料であることにかんがみると、労災保険制度の趣旨を考慮しても、原告の右主張は採用することができない。

また、原告は、割合認定による一部支給が可能である旨を主張しているが、労災保険は、民事上の損害賠償のように被害者の全損害を填補するものではなく、定型化、定率化された額を支給するものであること(本件の遺族補償年金については、労災保険法一六条の三、同法別表第一、葬祭料については同法一七条、同法施行規則一七条)、当該災害に関して労働者に故意又は重過失がある場合の給付制限(一部支給)については、労災保険法により明文で定められていること(同法一二条の二の二)、同法には、公害健康被害の補償等に関する法律四三条のような他の原因を参酌することができる旨の規定が存しないことなどに照らすと、原告主張のような理由により一部支給が可能であるとすることは、解釈論としては無理というべきである。

3  以上の次第で、本件処分は適法であるから、原告の本件請求は理由がない。

(裁判官 小佐田潔)

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